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横浜地方裁判所 昭和45年(行ウ)6号 判決 1973年11月07日

原告 田中福美

被告 川崎市

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金九万七、四五〇円およびこれに対する昭和四五年六月五日より支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに第1項につき仮執行の宣言。

二  被告

主文と同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、川崎市川崎区境町三二番地三所在田六二一・四八平方メートル(以下「本件土地」という。)を所有し、同所に水稲を作付けしていたものであり、被告代表者市長は川崎都市計画事業復興土地区画整理事業(以下「本件土地区画整理事業」という。)の施行者である。

2  被告代表者市長は、昭和三一年一二月ころ、本件土地区画整理事業の一環として、同市同区同町三二番地付近にあり、通称二ケ領用水から本件土地の水田に通じていた農業用水路(以下「本件水路」という。)を埋立てて舗装道路にし、右水路を壅塞した結果、爾後原告は本件土地における稲作が不能となるに至つた。本件土地付近には、右当時も農業用水路が縦横に存し、本件土地のみならず付近にも用水路を利用した水田が存していたものである。

3  原告は本件土地の水田において毎年一石以上の米を収穫していたものであり、前記水路の壅塞がなければ少なくとも爾後一〇年間水稲の作付収穫が可能であつたところ、昭和三二年の消費者米価は一石当り金九、七四五円であるから、結局本件土地区画整理事業に伴なう本件水路の壅塞によつて原告が蒙つた損害は合計金九万七、四五〇円となる。

4  被告の責任の法的根拠ならびにその範囲は次のとおりである。

(一) 土地区画整理法七七条一項によれば、土地区画整理事業の施行者は仮換地を指定した場合、公共施設の変更もしくは廃止に関する工事を施行する場合には、従前の宅地又は公共施設の用に供する土地に存する建築物等を移転又は除却できると規定し、同法七八条一項は右建物等の移転、除却により他人に損失を与えた場合には、その損失を受けた者に対して、通常生ずべき損失を補償しなければならない、と規定する。

(二) しかして被告の埋立てた用水路敷は公共用地であつて且つまた水路そのものも公共施設であるから、結局本件水路の埋立行為は、同法七七条一項にいう公共施設の廃止に関する工事として公共施設の用に供する土地に存する建築物等の除却に該当する。

(三) また同法七八条一項にいう通常生ずべき損失とは、本件においては、原告は永年に亘り二ケ領用水から農業用水を取り入れていたところ、被告は右二ケ領用水の取り入れ口を塞ぎ且つそれより本件土地等に至る用水路を埋立ててしまつたため、右用水路を利用して水稲耕作をしていた原告らの営農を不能にしたものであり、かかる場合は右埋立てなかりせば水稲耕作によつて得られるであろう一定年月の水稲の収穫高がそれに該当するというべきであり、右七八条一項が予想するもつとも典型的な補償を必要とする事例であるといわなければならない。

ところで前記事項により本件土地が値上りしあるいは宅地その他の利用の途が開かれているといつても、水稲耕作不能による損失とは無関係であり、このことは土地収用法八八条が離作料や営業上の損失についての補償を定め、同法九〇条がそれと起業利益との相殺を禁止している趣旨からも明らかである。

5  原告は右のとおり本件土地における水稲耕作が不能になつたため、その後再三にわたり被告に陳情して補償を要求し、昭和三二年五月協議を申し入れたが、昭和四一年夏ころ右協議が不成立に終つたため、昭和四三年一一月二八日神奈川県土地収用委員会に対し補償金支払の裁決を求めたが、裁決のうえ却下されるに至つた。

6  よつて、原告は、土地区画整理法七八条一項に基づき、被告に対し、本件土地区画整理事業によつて本件土地における水稲の作付収穫が不能になつたことによる損失に対する補償金およびこれに対する本訴状の送達によつて催告した日の翌日である昭和四五年六月五日より支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を請求する。

二  請求原因に対する認否および反論

1  請求原因第1項中、本件土地において原告が水稲を作付していたことは否認し、その余の事実は認める。

2  同第2項中、昭和三一年一二月ころ、被告代表者市長が本件土地区画整理事業施行に際し、本件水路を埋立てて舗装道路にし、右水路を壅塞したことは認めるが、その余の事実は否認する。

3  同第3項の事実は不知

4  同第4項中、原告主張の如き法文の存することは認めるが、その余はすべて争う。

5  同第5項中、原告が昭和四三年一一月二八日に神奈川県土地収用委員会に対し補償金支払の裁決を求めこれが却下されたことは認める。

6  原告の請求は以下の理由でその根拠がない。

(一) 本件土地およびその周辺につきなされた本件土地区画整理事業は、当初は特別都市計画法により川崎都市計画事業復興土地区画整理事業として戦災によつて焦土と化した市街地の戦災復興のため昭和二三年一〇月五日認可を受け直ちに施行されたものである。当時本件土地付近を含めて右区画整理区域内は工場の進出、市街化の進展により農地はわずかに散在するのみとなり、付近の用水路も汚水が排水され、既に農地として不適格であつて専業農家は存在していなかつた。また公簿上田畑とされていても現況はほとんど宅地であつて、右区画整理事業施行はあたり従来の農耕地を施行後も農地として存続させることは不可能に近く、右区域を自作農創設特別措置法五条四号によつて農地買収の除外区域とすべく昭和二二年その旨神奈川県知事に申請し、昭和二四年その旨の裁決を得たので、従来の農地であつてもこれを区画整理上は農地として存続させずに事業を進めたものである。

(二) 本件土地区画整理事業施行に伴なう本件土地上の建物および工作物等の移転補償として、昭和二九年六月三日四ツ目生垣、キヤベツ、玉ねぎ、漬菜を対象として、昭和三二年一二月九日麦を対象として、被告は原告に対し、それぞれ補償金を支払つており、右は当時原告が本件土地において水稲の耕作をしていなかつたことを物語る。

(三) 本件土地周辺は昭和一五年ころから市街化が進み、本件区画整理事業に着手するころには完全に市街化された地域となつた。

右地域には縦横に水路があるが、本件区画整理事業施行当時既に水の流れはなく、住家の汚水の排水および道路の排水溝として使用されていたもので、何処へ流れていつたかも判然としない。

原告は通称二ケ領用水から本件土地に通ずる農業用水路が存在した旨主張するけれども、二ケ領用水という呼称は特定の用水路を指すのではなく、一定の地域内にあつた農業用水路の総称とも伝えられ、甚だ莫然とした名称であつてその範囲等も明確でない。また本件土地周辺にある従前は農業用水路であつたと思われる水路もその水源が二ケ領用水であつたものかどうか不明であり、原告は右水路を利用しうる何らの権利もないものであるから、原告は補償を受ける権利がない。

なお二ケ領用水の水利に関する権利は、当初川崎鶴見水利組合が有していたが、昭和一六年八月一日右組合は右水利に関する権利を放棄し、その管理を被告に移管し、右組合は昭和一九年に解散している。

7  原告は、土地区画整理法七八条一項に基づいて、本件土地において水稲の作付が不能になつたことに対する補償を求めているが、右条項にいう「損失」とは、建築物等の移転、除却行為自体によつて生ずる現在的損失をいうのであつて、本件における稲作が不能になつたというような主観的、特殊的損害は含まないものと解すべきである。

本件の場合、現地換地であるので土質等は変らず、陸稲、麦、野菜等の農作物の耕作は可能であり、市街化された地域内の宅地として土地の高度利用の途が開かれており、本件土地区画整理施行後土地価格が上昇することは明らかであるから、原告は何ら経済的な損失を受けることはないのである。

三  抗弁

仮りに原告に本件補償金を請求する権利があるとしても、原告の被告に対する補償金の請求権は公法上の金銭債権であるから地方自治法二三六条一項の規定により五年間で時効消滅すると解すべきであるところ、原告が本件土地における水稲の耕作が不能であることを知つたのは遅くとも昭和三二年末であるから、原告の補償金請求権は昭和三七年末の経過をもつて時効により消滅した。

なお、土地区画整理法七八条三項、七三条二項は協議前置主義を採つているが、右は権利保護ないし実現の方法を定めたものであり、協議申出も権利保護ないし実現の一方法であるから、損害発生の時よりその損失補償の請求をなしうるのであり、消滅時効は右時点より進行するというべきである。かく解さなければ、右「協議」なるものは法定の要式に基づく手続によるものでもなくまた協議不成立のときの概念が不明確であるので、いたずらに補償の請求を繰り返している間は時効は進行しないということになつてしまう。

四  抗弁に対する認否および主張

1  被告は、原告の本件請求権については地方自治法二三六条一項が当然適用される旨主張する。しかし、原告の被告に対する本件請求権は元来地方公共団体に対する権利ではなく、区画整理事業の施行者である川崎市長に対する権利であつて、本来施行者に対して有する補償請求権を政策的に地方公共団体に対して認めたものである。本件請求権は公法上の権利であるが、私法上の権利が侵害されたことによつて発生する権利であるから、地方自治法二三六条一項は適用されず私法上の権利に類似するものとして民法一六七条の類推適用を認めるのが妥当である。

2  被告は、本件請求権の時効の起算点は損害の発生した時である旨主張する。ところで、民法一六六条一項は、消滅時効は権利を行使しうるときから進行する旨規定しているところ、土地区画整理法七八条三項によつて準用される同法七三条二項は、協議前置主義を採用し、損失を受けた者と損失を与えた者とは先ず協議しなければならない旨定め、同条三項は協議が成立しない場合にはじめて土地収用法九四条二項に基づき収用委員会に裁決申請をなしうるものと定めているのであつて、結局損失を受けた者は右協議が成立しなかつた場合にはじめて権利を行使しうることになるものと解すべきであり、本件において原告と被告との協議が不成立と確定したのははやくとも昭和四一年夏ころであるから、本件請求権に関する消滅時効はこの時をもつて起算点となすべきである。そうであるとすれば、原告は本件について昭和四三年一一月二八日に神奈川県土地収用委員会に対し裁決申請をなしているのであるから、本件請求権について消滅時効が完成しているということはない。

五  再抗弁

仮りに被告主張の如く本件請求権について損害発生の時から時効が進行するとしても、原告が被告に対し補償請求、協議申し入れを繰り返す間は時効は中断していたものと解すべきである。

そうでなければ、被告において不当に協議を引き延ばしている間に時効が完成してしまい、協議前置主義を採用した法の趣旨が没却されてしまうからである。

六  再抗弁に対する認否および主張

原告と被告との間で、本件補償に関し、多少の交渉があつたことはあるけれども、原告から被告に対し正式に協議の申し入れがなされたことはなく、原告と被告との間で協議が行なわれたこともない。

仮りに原告から被告に対し正式に協議申し入れがあつたとしても、原告が補償請求に関し協議申し入れを繰り返した場合その都度時効が中断すると解することは妥当でない。けだし、協議の申し入れは民法一五三条の催告に準ずべきものであり、催告は単なる予備的措置にすぎないから、別個に法定の手続(本件では収用委員会に対する裁決の申請)をとらない限り、それは中断に関しては無価値な行為にすぎないとみるべきだからである。

そうであるとすれば、原告が本件損害の発生を知つたのは遅くとも昭和三二年末であり、本件請求権については昭和三七年末には時効が完成するところ、仮りに昭和三七年ころに原告から協議の申し入れがあつたとしても、その時から六ケ月以内に収用委員会に対し裁決申請をしない限り、右協議申し入れに時効中断の効力はないことになる。

第三証拠<省略>

理由

一  原告が川崎市川崎区境町三二番地三所在田六二一・四八平方メートル(本件土地)を所有していること、被告代表者市長が川崎都市計画事業復興土地区画整理事業(本件土地区画整理事業)を施行し、右区画整理事業の一環として、昭和三一年一二月ころ同市同区同町三二番地付近の本件水路を埋立てて舗装道路にし、右水路を壅塞したことおよび原告が昭和四三年一一月二八日神奈川県土地収用委員会に対し、本件土地区画整理事業実施に伴なう右水路の壅塞によつて本件土地における水稲の作付収穫が不能になつたことによる損失に対する補償金支払の裁決を求めたところ、裁決のうえこれが却下されたことは当事者間に争いがない。

二  そして証人中村万吉、同市川広吉および同石川房吉の各証言、原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、原告の父訴外亡田中右衛門は、昭和一二年一一月ころ本件土地を買受け、爾来田中右衛門および原告が本件土地において水稲を耕作し、右水田から、精米にして、年に一石余りの米を収穫していたこと、昭和三一年一二月当時本件土地区画整理事業の実施に伴なつて、それまでわずかに残されていた付近の田畑等がさらに減少の傾向にあり、地区全体が逐次市街地化する方向にあつたために、二ケ領用水路の末流やその支線水路であつた本件土地周辺の水路等は、順次埋立てられ、もはや灌漑用水路というよりも、下水等が流れる排水路と化しつつあつたこと、本件土地における水稲耕作に要する農業用水は、当時近隣において水稲を耕作していた中村万吉、市川広吉および石川房吉の水田と同様、その源流は必ずしも明らかとはいい難いが、本件水路が壅塞される直前までともかく本件水路を経由する水路によつて辛うじて確保されていたこと、ところが原告は、本件土地区画整理事業によつて本件水路が壅塞されてからは、全く本件土地において水稲を耕作することができなくなつたことをそれぞれ認めることができる。

もつとも成立に争いのない乙第六号証の一ないし三、同第七号証の一ないし六、同第八号証の一、二、同第九号証、同第一〇号証の一、二、同第一一号証の一ないし六、同第一二号証の一、二および同第一三号証ならびに証人渡辺義則の証言によれば、被告は原告に対し、本件土地区画整理事業実施に伴なう建物及び工作物等の移転補償として、本件土地に関連して、昭和二九年六月に四ツ目生垣および農作物を対象として金一、八〇〇円を、昭和三二年一二月に麦を対象として金一、四〇〇円をそれぞれ支払つていることが認められるけれども、同証拠によれば、右昭和二九年六月支払の補償金は、本件土地の南端の一部に設置耕作されていた四ツ目生垣および農作物(約三〇坪分)に対する移転補償であり、また右昭和三二年一二月支払の補償金は、本件土地において水稲の裏作として行なわれていた麦に対する移転補償であつたことが認められるから、結局右二回の補償金の支払をもつて直ちに原告が当時本件土地の一部において水稲の作付をしていなかつたとはいい難く、その他前記認定の事実を覆えすに足りる証拠はない。

そして、前記認定の事実によれば、本件土地における原告の水稲耕作が不能になつた原因としては、本件土地周辺地域一帯の市街地化等様々の要因が考えられるけれども、昭和三一年一二月ころ本件水路が壅塞され、その結果原告が本件土地における水稲の耕作に要する農業用水が確保できなくなつたこともその一つの要因であることを否定することができない。

三  そこで、右のような原告の蒙つた不利益による損失が、土地区画整理法七八条一項にいう「通常生ずべき損失」に該当するか否かについて検討する。

一般に土地区画整理事業は、その実施に伴なつて、環境の変化を招来し、周辺の地域住民等に種々の利益、不利益を生ぜしめるのが通例であるが、土地区画整理法における損失補償の規定は、公用負担の公平化の見地から、右土地区画整理事業実施に伴なつて生じた損失のうち、格別に直接的、個別的な損失に対する補償を認めるにとどまり、その余の前述のような地域住民等が一般的に受ける不利益等は、健全な市街地の造成を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする土地区画整理事業の理念に照し、これを甘受すべきものとしていると考えられる。したがつて、右土地区画整理法七八条一項に定める「通常生ずべき損失」とは、当該土地上の建築物等について直接に何らかの正当な権利関係を有する者がその建築物等の移転、除却によつて蒙る損失に限られ、右建築物等を事実上利用し得た立場にあつたに過ぎない者がその建築物等の移転、除却によつて受ける事実上の不利益等は、これを包含しないものと解するのが相当である。

これを本件についてみれば、原告本人尋問の結果およびそれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証の一ないし三によれば、原告の父訴外田中右衛門が川崎南部農業協同組合あるいは川崎南部農業共済組合に加入していたことが窺われるが、右組合が水利権を有していたことを認めるに足る資料はなく、成立に争いのない乙第一四号証の一ないし六によれば、原告が本件水路の源流であると主張する二ケ領用水の水利に関する権利を有していたのは川崎鶴見普通水利組合であり、同組合は昭和一六年七月三一日その一切の権利を被告に譲渡し、昭和一九年末をもつて解散していることが認められ、他に、昭和三一年当時原告が本件水路に関し水利権等その利用権限を有していたことを窺わせるに足りる証拠はない。

してみれば、原告は本件水路について法律上の権利を有していたと認めるに足る証拠はなく、事実上これを本件土地における水稲耕作に利用していたに過ぎない者であると考えられるから、本件土地区画整理事業実施に伴なう本件水路の壅塞によつて、原告が事実上これを利用できなくなつて本件土地における水稲の耕作が不能となり、その結果たとえ何らかの損失を蒙ることがあつたとしても、右損失は、前記土地区画整理法七八条一項にいう「通常生ずべき損失」には該当しないものといわなければならない。

四  以上判示のとおりであり、原告の本訴請求は、その余の判断をまつまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小河八十次 佐藤歳二 山野井勇作)

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